2007/10/20
良い文章ってどんななのかな?
先日まで職場に実習に来ていた某大学の3年生の男の子から、まとめ的な総評が送られてきたのです。
実習の間に書いたその日その日の記録の文章がとても可愛らしい・・・・・というか、「今日はコレコレコレをしました。そこで出会った人はコレコレコレだといっていました。すごくコレコレコレだと思いました。明日はもっとコレコレコレについて考えて・・・・」という素直な文章を書く人だということは知っていたのでそのつもりで読んだのですが、やはり、実習の総まとめの文章としては先生からはあまり高い評価を貰えないのだろうなと思ってしまう文章でした。
一生懸命なんですよ。だけど、同じ言葉が頻繁に再登場するし、「特に」とかが1文中でかぶっていても気がついてないし、ですます調とである調が混ざっているし。
読んでいて思いました。これ、自分が普段書きなぐっている文章と似てるところがある!(笑)読み返してないんですよ、きっと、さらっとしか。だから、気がつくはずのことも気がつかない。
全体としてどういう感じにまとめたいかという形を考えていないから流れにのっかったままどこか尻つぼみな感じになっていき、最後に唐突に綺麗に終わる。
書くことが楽しくてしかたがない小学生の感想文に似てました。気がついたらあらすじ編になっちゃったりするんだよね、感想文って^^
それに対して今来ている同じ3年生の子は優等生的な文章を書くことができる子です。形にはめて書くことができるというか。でも、その分、先に示された形がない時には大きく崩れる。
こちらは確実に先生の受けも良くて評価も高いんだろうなと思います。
でもね、良い文章ってどんななのかな。
できるだけ正確なのが良いのであれば、少しは簡単な気がします。誤字脱字がなくて、句読点がバランスよく入って、事実を客観的に捉えて間違いなく書いてあって。でも、国語の先生ってそういう観点だけで評価はしないですよね?
今回のは実習についてのものだから、文章の良し悪しより実習の中で何をどれだけ掘り下げることができたのか、がポイントなのかと思います。でも、これだって難しい。まだ大学3年生。決まった実習先は彼らが予定していた実習目標とぴったり合うわけないし、現実の日々は文字で学んだものとはかなり違うでしょう。そこら辺、頑張れってエールを送りたい。
で、実習から離れて、良い文章って?というところに戻りますが
・・・・あのね、ある文章の中で使われる頻度が高い言葉があることがありますよね。便利だからという言い回しなのかもしれないけれど、それってある意味、書き手の好みとか個性がでる部分でもあると思うんです。だからね、同じ言葉の繰り返しに目くじらばかりたててたら、もしかしたらそれはつまらないことなのかもしれないな、と思えたり。
子どもって小さい時、覚えたての言葉を何にでも応用したがったりしますよね。あれを立派な自己主張と見るなら、大人と呼べるくらいまで生きてきた中で自分の中にしっかり根付いている言葉って宝物に似てる気がします。
誰が読んでも良いと感じる文章って、きっとない。
そこには個人の好みというフィルターが絶対にかかってくるから。だとしたら国語の先生って大変だなぁ。
広報的なところに書くならコレ
論文的なところに書くならアレ
日記的なところならソレ
創作的ならイロイロ
自分の中で上手にスイッチを切り替えられたらいいですね^^
そのためにはたくさん読んでたくさん書くしかない、という当たり前な結論になるのですけど。
でも、そのプロセスを目いっぱい楽しめたら、最高だなと思います。
というわけで、来月になって実習の子と再会したら、書き終わった文章を読み返すことと、時々ちょっとWEBでいいから類語辞典などを開いてみることを勧めてみようかと思います。
(こう書きながら、書いた言葉が全部自分に跳ね返ってきてますよ:笑)
言葉のちょっとした違いとか言い回しの面白さとか、そういうのを楽しめたらいいな、と思います。
実習の間に書いたその日その日の記録の文章がとても可愛らしい・・・・・というか、「今日はコレコレコレをしました。そこで出会った人はコレコレコレだといっていました。すごくコレコレコレだと思いました。明日はもっとコレコレコレについて考えて・・・・」という素直な文章を書く人だということは知っていたのでそのつもりで読んだのですが、やはり、実習の総まとめの文章としては先生からはあまり高い評価を貰えないのだろうなと思ってしまう文章でした。
一生懸命なんですよ。だけど、同じ言葉が頻繁に再登場するし、「特に」とかが1文中でかぶっていても気がついてないし、ですます調とである調が混ざっているし。
読んでいて思いました。これ、自分が普段書きなぐっている文章と似てるところがある!(笑)読み返してないんですよ、きっと、さらっとしか。だから、気がつくはずのことも気がつかない。
全体としてどういう感じにまとめたいかという形を考えていないから流れにのっかったままどこか尻つぼみな感じになっていき、最後に唐突に綺麗に終わる。
書くことが楽しくてしかたがない小学生の感想文に似てました。気がついたらあらすじ編になっちゃったりするんだよね、感想文って^^
それに対して今来ている同じ3年生の子は優等生的な文章を書くことができる子です。形にはめて書くことができるというか。でも、その分、先に示された形がない時には大きく崩れる。
こちらは確実に先生の受けも良くて評価も高いんだろうなと思います。
でもね、良い文章ってどんななのかな。
できるだけ正確なのが良いのであれば、少しは簡単な気がします。誤字脱字がなくて、句読点がバランスよく入って、事実を客観的に捉えて間違いなく書いてあって。でも、国語の先生ってそういう観点だけで評価はしないですよね?
今回のは実習についてのものだから、文章の良し悪しより実習の中で何をどれだけ掘り下げることができたのか、がポイントなのかと思います。でも、これだって難しい。まだ大学3年生。決まった実習先は彼らが予定していた実習目標とぴったり合うわけないし、現実の日々は文字で学んだものとはかなり違うでしょう。そこら辺、頑張れってエールを送りたい。
で、実習から離れて、良い文章って?というところに戻りますが
・・・・あのね、ある文章の中で使われる頻度が高い言葉があることがありますよね。便利だからという言い回しなのかもしれないけれど、それってある意味、書き手の好みとか個性がでる部分でもあると思うんです。だからね、同じ言葉の繰り返しに目くじらばかりたててたら、もしかしたらそれはつまらないことなのかもしれないな、と思えたり。
子どもって小さい時、覚えたての言葉を何にでも応用したがったりしますよね。あれを立派な自己主張と見るなら、大人と呼べるくらいまで生きてきた中で自分の中にしっかり根付いている言葉って宝物に似てる気がします。
誰が読んでも良いと感じる文章って、きっとない。
そこには個人の好みというフィルターが絶対にかかってくるから。だとしたら国語の先生って大変だなぁ。
広報的なところに書くならコレ
論文的なところに書くならアレ
日記的なところならソレ
創作的ならイロイロ
自分の中で上手にスイッチを切り替えられたらいいですね^^
そのためにはたくさん読んでたくさん書くしかない、という当たり前な結論になるのですけど。
でも、そのプロセスを目いっぱい楽しめたら、最高だなと思います。
というわけで、来月になって実習の子と再会したら、書き終わった文章を読み返すことと、時々ちょっとWEBでいいから類語辞典などを開いてみることを勧めてみようかと思います。
(こう書きながら、書いた言葉が全部自分に跳ね返ってきてますよ:笑)
言葉のちょっとした違いとか言い回しの面白さとか、そういうのを楽しめたらいいな、と思います。
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ちょっと考察
今日は無事にお医者様にも行けて、大分良くなりました。
私が好きな文章は、まずきれいに音読できて、聞いただけで意味の通りが良いものです。レポートなどは平易な表現でありながらしっかりした文体だと読みやすくていいですよね。
英語などで関係代名詞をたくさん使って入れ子式になっている文がありますが、小説ならともかくレポートではつらくなります。
手紙を書いていると「お願いいたします」のオンパレードになることがあります。はっと気づくと隣り合った行の同じところに並んでいたり。こういう時は仕方がないので書き直します。年とともにただでさえ少ない類語が消滅していっているのでションボリします。
ところで、先生が作文を読んでコメントするときやってはいけないことというのを何かの本で読みました。
たとえば「昨日、お兄ちゃんとけんかをしました」という作文に「けんかはいけません。兄弟仲良くしましょう」というコメントをしてはいけない。なぜなら、文に対するコメントではないからです。次からこの子は、先生がほめてくれそうな題材しか選ばなくなってしまうのだそうです。
うわ~~、わたし、どこかでやってます