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塗り仏

京極堂シリーズの塗り仏を2冊再読してました。
この2冊、とても好きなんですが、でも、やっぱり思いますよ、一冊目「支度」の方はこれ以上にないくらいの最強のじらしプレイだと。
いつになったら京極堂に会えるんじゃ~~~~と思いながら読んでいく内に小さな渦群の中にちゃんと巻き込まれるんですが、時々パラパラとまだ渦の外にいる京極堂に会えてしまうわけで、彼の口から語る講釈がその前に読んだ渦たちの正体をほのめかしちゃったりしちゃうわけで、余計にじれったくなってしまうんですよ。
あ、京極堂の描写で一番好きなのは多分、塗り仏よりも女郎蜘蛛のプロローグとエピローグ(あの女性と最後に対する場面ですね)なんですけども、それに近いくらい好きなのが2冊目の「始末」の後半、ゲームが続いていたことに気がついた後の京極堂のいろいろでございます。
確か初期の作品では関口が「出会った時から妻がいた」ことに驚きを持っていたほどの「硬派」であるはずの京極堂。その彼に色気を感じることができるのが楽しいのです(もっとも関口は猫目洞を訪れた時の京極堂のような姿、言葉を見たり聞いたりさせてもらえることはなかなかないのでしょうから、無理もないとは思うのですが)。
邪な感想で申し訳ない(笑)
でも、流れもとても好きですよ。
少しずつ動き初め、集い、そしてまさに現実となる百鬼夜行。
尾国やあの童子、それから堂島も含め、頭の中にどこかとらえどころのない魅力的な映像をぱあっと放ってくれる気がします。

映画のうぶめは見ましたし、堤真一さん個人は大好きなんですが、やはり自分にとっては京極堂シリーズは文字であるのが一番魅力的だと思います。
あの押し寄せる文字を掻い潜り(避けてどうする:笑)、自分に必要なものを取捨選択して邁進したのちにようやく開かれた光景が見えてくる・・・・・・あの楽しさは他では代用できないです。
「眩暈坂」一つにしても映像の光や傾きの効果をいくつかさねるよりも文字で見た方が自分はくらくらきます。
決して京極堂の憑き物落とし装束が黒じゃなかったからこだわってるわけじゃないですよ。いや、ほんと、あれはかなりの選択ミスだと今なお思っていますけれどね!

で、この塗り仏2冊の怖いところは久しぶりに読むとそれまでの事件で登場した人物にも久しぶりに出会えてしまうので、ついつい古い事件も読みたくなっちゃうことです。そこには塗り仏の厚さを見慣れると古い事件は、特に最初のふたつは軽いものに見えてしまう罠、というのもあります。
これは罠としてはなかなかのもの。
意を決して振り切らないと、やりたかったはずのこと、目の前の最優先事項がちょっぴり彼方に追いやられます。

映画に戻りますが、あのね、やっぱり榎さんは阿部さんじゃダメだと思う。木場も彼じゃダメ。片方はビスクドール的白い滑らかさととび色の瞳が必要不可欠だし、もう一方はとにかく四角くてゴツくないとダメなんです。その外見が少なからずそれぞれの性格や職業、生き様にも影響を与えているわけですから。

京極堂は・・・・・・ううん、劇画コミックのベタスプラッシュ効果ぐらい怖い顔が出切る人って現実世界に存在する俳優さんの中にいらっしゃるのだろうか。特殊メークが必要なほどの怖さじゃないとと個人的には思います。おまけにしかめっ面を取り除いたら結構イケルお顔じゃないとダメ。声が凛と通る人じゃなきゃダメ。息継ぎなしで文庫1ページ分ほどの台詞を一気に言える人じゃなきゃダメ。
・・・・これは榎さんや木場よりやっぱり難しいですね。

関口君はひとこと。「脂質」じゃないとダメです、彼は。

邪いっぱいの読み方ですが、やっぱり京極堂シリーズが大好きです。
うん、そういうことです。
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by hanipyon  at 22:17 |  旅の入り口 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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