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memoするということ

Rahmens.netでの小林賢太郎さんの声(8月15日付け)を読みました
先ず、素直に心に響く言葉だと思いました

自分に関して言えば、これまでラーメンズ、KKPの公演でmemoを取った時もあり、まったく取らなかった時もあります
『感想』という形で公演に関するページをアップしたこともあります
ネット上にページをアップした時は、最初、どうするかかなり迷った記憶があります
いくら「ネタバレあります」等々の表記をしたとしてもそれはどこか自分の思い上がり的な感じがしました
公演の中の全ての言葉は本を書いた賢太郎さんと表現している出演者のもの
それを勝手にネットというあまりに広くて曖昧な大海に放り出していいのか
これはただの言葉盗人であるだけではないのか
その常にどこか不安な気持ちに賢太郎さんの言葉がストンと決着をつけてくださった気がします
今度からはネットに感想をアップするのではなく(ネタバレなしの感動の叫びはしてしまいそうですが)、公演を見た方だけをお誘いしてチャットで素敵で楽しかった時間を振り返ることにしましょう
自分がネットに感想ページをアップした理由はとにかく見た方とわくわくを共有したいと思ったからですので

そして次に感じたのがものを創る側とそれを体験させてもらう側との求めるものの違いのようなものです
memoを取ることそのものに関する話ですね
「瞬き以外は一瞬も舞台から目を離さずに全身全霊を集中して公演を見尽くす」
恐らくこれが創る側、発信する側にとっては理想の鑑賞態度でしょう
ただ、見る側には楽しい時間であればあるほど時間が過ぎて記憶が薄れていくのが怖い・・・・という感情があります
見るだけではなくて過去の作品等と分析比較してみたいと思われる方もいらっしゃるでしょう
そこでmemoの出番になるのです
わたし自身は賢太郎さんがおっしゃっている通り、memoを取ろうとするといくら集中していても指先に気をとられる瞬間が確かに何回かあります
なのでとにかくmemoはとらずに浸りきろう!と考えて出かけることも多いです
でも、そこには個人差があって、わたしよりもmemoを取ることが遥かに苦にならない方もいらっしゃると思うのです
その方が面白いと思い感動する気持ちはmemoを取らずに見ている自分とワクワク度も何もかも絶対に劣るものではないと感じます
ネットなどで公開することを前提としたmemoとそうじゃないmemo
一見違いは見えないかもしれませんが、そこには確かに違いがあります

賢太郎さんはこの違いの存在も否定されるのだろうか・・・
確かに「記録」という大きな分類枠で考えれば密かな録音・写真撮影とmemoは同じ枠に入ります
でも、賢太郎さんが敢えてご自分の言葉を「我侭」とおっしゃてくださったのに甘えれば、ただ「memo」と呼ばれる行動にある動機、個人の能力差などなどの違いを少しだけ認めて欲しいというのが観客としての自分の我侭です
自分は大抵は集中して舞台に見惚れているだけの人間ですが、それでもいくつかの言葉にあまりに嬉しくなって、絶対に忘れたくなくて、かと言ってずっと口の中で呟いているのではその後の舞台を楽しむどころではなくなるのでやっぱりそっとmemoしておきたくもなってしまうのです
・・・・最近記憶力もガタ落ちしてますしね

長々書いてきましたが、ここに書いたのはあくまでもわたし個人の意見であり、限界であり、願いです
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by hanipyon  at 23:42 |  ラーメンズ |  comment (3)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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