庭の奥まったそのひと隅にただ残る切り株の影。
窓越しに見るそれは夜色の中でほんの少し闇色が濃い。
あそこに
想うと先刻の一雨の名残のように細く流れ出す記憶の場面に
そっと息を吐くと額がガラスに触れた。
その時、光の帯が宙を走った。
雲間の月。
見上げれば過ぎる雲はまばらになりつつあり、明るい帯が次第に幅を広げていく。
なんだ、今日はあんなに満ちた月だったのだ。
思わず壁を見て暦に並ぶ円を確かめた。
「やっぱり今年もまだ春って感じじゃないね」
梅、桜。
花の便りはもう随分と前にこの北の土地にも届いているけれど
ここにはまだ春の花はない。
もしもここにあの懐かしい木があったら花はなくとも綻びはじめた枝の先の柔らかさに春を見つけることができたのに。
冬になる前にあの木を切った。
隣人の土地に張り出している枝を落としてやるにも限界があり
別れた時にはその根元の決して踏まなかった一箇所に祈った。
お前を守ってくれていた桜。
切り株だけになっても絶対に掘ったりしない。
そこには大地に抱かれたお前が眠っているから。
夕刻に過ぎた雨は屋根を濡らし空気を洗う程度であったらしい。
頬に触れ鼻腔から流れ込む空気がやわらかく甘く香る。
地面の匂い。
やっと生え出した下草の緑の匂い。
持ってきたコンビニのビニール袋を敷いて切り株の横に腰を下ろした。
可笑しいね
やっぱり時々部屋のふとした隅や足元にお前の気配と温かみを感じるよ
返事が返らないのはずっと同じだから今も寂しさは感じない。
でも、何だろう。
小さな鼻の先を手の下にもぐりこませて「撫ぜてくれ」と催促してもらえないのが時々不思議だ。
台所からバナナを一本もいできてもいつの間にか先回りしているはずの姿がない。
だから、ねぇ。
今日は出張出前サービスで、こうしてバナナを持ってきたんだよ。
まだ花のない季節。
もう木もなくなった片隅で、気持ちだけのお花見。
変だね。
剥いたバナナの甘さより桜餅みたいな匂いを感じるよ。
風が枝の間を通り抜ける音が聞こえるよ。
ざざざ・・・
ふと見上げると月明かりの中に淡く浮かぶ薄い色に染まった枝があった。
ひとふり、ふたふり。
見れば頭上に屋根のように広がる花爛漫。
ああ、こんなに綺麗な桜は見たことがない。
月の清冽なほの白い光をその中に湛えて夜の中に浮かんでいる。
涙ぐむほど綺麗なものって本当にあるんだね。
その時、手の下をそっとつつかれる感触があった。
少し湿った鼻先とそこから続く滑らかな毛。
ああ、そうだったのか。
これはお前が見せてくれていたんだね。
お前を守ってくれるように祈った桜を今はお前が守っているんだ。
すごいね。あんなに小さい身体のお前が。あんなに大きかった木の記憶を。
今、下を見てしまったらきっとこの魔法は解けるよね。
何もない手の下の小さな空間がうつつへの帰路。
だから、もう少しこの花を見ているよ。
そしてその間ずっと撫ぜていてあげる。
ほら、バナナも食べていい。
涙が乾いて首がどうしても我慢できないくらい痛くなったらそっちを見るから。
だから、もう少し。
一緒に夜のお花見をしよう。
このお月さまの光の力を借りて。
朝。
バス停へ走ろうとするわたしの足を止めさせたのは
朝露に濡れた歩道にまるでどこからか風に乗ってきたように
落ちてはりつき淡い色彩を見せている数枚の花弁だった。
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variousmoonさんの『つきのくさぐさ』の素敵TB企画に参加したくて書きました
北国の春は今年は何だか遅れているようです
やっぱり写真参加は無理でした(涙)
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1.期間は3月15日【水】(陰暦2月16日。満月)から
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